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イェーイ記事全消し 明るく!

どの彼氏よりも好きだった

 

ずっと家にいるから思い出して苦しい。

踏ん切りつけたくて、泣きながら書いた。

ポエムにならないよう努力した。

 

 

大好きな子がいた。‪

心優しくて、頭の回転が早くて、地頭もよくて、知的好奇心旺盛で、でもとにかく自分に自信がなくて。繊細すぎて一人でずっと傷ついている。

私や他の人があなたは凄いよ、自信を持ってもいいんだよってどれだけ伝えても響かない。

それくらい理想を曲げず、ひたすら完璧主義な人だった。

気が合ったのはもちろんだけど、能力面での器用さとメンタル面の不器用さのギャップがなんだかいじらしくて、私はつい夢中になってしまった。

そんな彼女は何年も前から自殺の計画を立て、すでに日程も決め、今はそれまでの余生を過ごしてる最中であるとよく言っていた。

今思えば、ここが折り返し地点だった。


元から付き合いの長い友達だったけど、何かのきっかけで急に深く仲良くなった。きっかけは忘れた。どうせ性格の暗さで共鳴した感じだったと思う。

それからはもう常にべったり。

朝まで一緒にオンラインゲームしたり、せーので同時再生してアニメ見たり、家にいる間はずっと通話繋いだり、寝落ちしたり、とにかくネット恋愛カップルがやること全部やった。異様な頻度でやってた。

Twitterでもお互いの話や一緒に遊んだゲームのスクショばっかツイートするもんだから、共通のフォロワーにはちょっと引かれてたと思う。

絵を描くときももちろん一緒。空きゴマの時間も電話。電車降りた瞬間電話。風呂でも喋った。

2人ともずっと家にいる生活をしてたのもあって、毎日相当な時間を費やしていた。

1人の時間はあんまりなかった。

でも、それが幸せだった。

 

べつに、ただ寂しさを埋めたかったわけじゃない。好きな子と関わる時間は長い方がいい。それに、彼女も私のことをかなり好いてくれていたと思う。

だからこそ辛かった。どれだけ仲良くなっても、彼女は自殺の日までのカウントダウンを定期的に呟くことを一向にやめないから。

その度に私は嫌というほど理解させられた。私は最後までこの子の心になーんにも残せないまま。そして、この子は宣言通りの日付にいなくなってしまう。


往生際が悪くプライドも高い私は、口では死にたい死にたいとわめきながらも、実際は生に執着していた。

一方、大好きなこの子は私になし得ないことも当然のようにこなしてしまうんだろう。現に今だって迫りくる死だけを冷静に見つめている。

「生きてるのがイヤ」とただ駄々をこねる思春期丸出しの私。それとは対象的に、深い希死念慮を抱え、ただ淡々と余生を過ごす彼女。私は何もかも負けていると感じた。だからこそだろうか、何もかも好きだった。


でもやっぱり寂しくて、私を見てほしくて。わざと揺さぶってしまったことも何度もあった。私がいないとダメだと言ってくれた彼女を、あえてキツい言葉で突き放した。わざと時間を置いて返信したことも何度もある。私は馬鹿だった。そんなことしても何も変わらないのに。

謙虚なあの子は自分を卑下してまで私のことを褒めてくれる。苛立った私はだんだんハメを外すようになり、そこからよりいっそう不健全な関係に傾いていったと思う。

 

あの子のことはずっと大好きなままだったけど、私のメンタルはそろそろ限界だった。こんな関係は続かない。

死なないでほしい。でもこの子が自分に自信を持って過ごせる未来に私はいない。

一緒に貴重な余生を浪費することしかできない私に、死ぬなとか勝手なこと言う権利はあるの?

そのへんの虚しさが限界まで膨れ上がったのと時を同じくして、私は大学に馴染み、彼女とも次第に疎遠になった。

 

それからまた1年近く時間が経って、その子が首吊りに失敗したというツイートを見た。ああ、言っていた日付通りだ。目眩がした。

未遂で済んで良かった。…と真っ先に思ったのは、生きていて欲しいという気持ちよりもっと質の悪いエゴからくるものだったかもしれない。

 

成功、しないでほしかったんだろうな。

真面目で完璧主義な彼女を心の底から尊敬していたくせに、どうせ実際は自殺なんてできないだろうと高を括っていた。

決めたことは必ずやり抜く子だと信じながらも、その日が来たのに決心がつかず自分を責める彼女を私が優しく慰めてあげるつもりでいた。

彼女への歪なリスペクト、私の自分勝手な感情、その両方を否定しないで済む「自殺"未遂"」という結論は、私が欲していた答えそのものだった。


もう、LINEやDMを送れるような勇気も図々しさも残っていない。自分が何を考えて何をしてきたか、ちゃんとわかってたから。だから何もできない。

あのツイートを見た瞬間に全身の力が抜けて、祇園四条駅の人混みの中で座り込んでしまったことはよく覚えている。


数日後、入院しているらしいと噂で聞いた。なんとなくだけど、やっぱり話したい気分になってしまった。…どこで?LINEで?その子のLINEは誰が管理してるんだろう。親だったら?

私は向こうの親御さんに認知されてるから、どう思われてるかもわからない。つまり、もう話す方法がない。というか多分、実際は話すこともべつにない。

一緒にあれだけの時間を過ごしておきながら、蓋を開けてみれば互いに「干渉しない」という優しさだけで仲良くなっただけの私たちに、今さら距離を詰め直す手段なんて1つもなかった。

それなりに踏み入った話もしてたのに、私が言われたくないようなことは決して言わないあなたの優しさに後から気付いた。

私こんな性格だから、人に言われたくないことなんていっぱいいーっぱいあるのに。その繊細さで生きる世界はどれだけ険しいものなのか私には想像もつかないけど、優しくしてくれてありがとうって言えばよかった。


その後、なんだかんだ言いつつも結局あの子がどうしているか気になって仕方なかった私は、共通フォロワーにDMでそれとなく聞いてみることにした。すると「わかんない!聞いてみる!」「今LINEしてみたよ!一応生きてるっぽい!」と返ってきて、そのあっけらかんとした態度にまた感情がグチャグチャになった。

うまく言葉にできないけど。

 

そこからさらに2年くらい経つかな。今どうしてるんだろう。生きてたらまた話したいよ。一緒にMMOしようよ。アプデ後すぐにログインしよう。創作キャラも描き合おう。FF私だけの鍵垢もっかい作ってよ、私も作るから。VRchatでデートしようよ、前と違って動画配信サービスいっぱいあるね、同時再生で何観るか迷っちゃうね。

 

なんて、一番滅茶苦茶に共依存してた頃のイメージが最初に浮かぶ時点で、私は救いようのないクズだ。置いていかれて当然だ。だからこそ、こんな失礼な想像を二度としなくても済むように前を向きたい。案の定、私の死にたさの鮮度は落ちたから。

いや、鮮度が落ちたら消えてしまう性質のものだったというだけの話かも。寂しい。苦しくて死んじゃいたい。だから人との繋がりを求める。そんなの、話がなんにも繋がっていない。いかにも思春期の一過性のものだ。もちろん当時は本気で死にたいと思っていたし、決してファッションでやっていたわけではないけれど。

 

しかし、大人になるにつれて所属するコミュニティが増えれば、自ずとぼやけていってしまう程度の希死念慮ではあった。当時17、18の私に気付けというのも無理があるけど、まあ、ありがちな話だ。彼女が抱えていた閉塞感とは全く違う。べつに確認したわけではないが、さすがの私でもわかる。

 

とにかく、私は自分の薄っぺらな自殺願望の中身についてろくに考えることすらしないまま、彼女と関わり続けた。言葉の外側だけを撫で合って繋がりを深めた。それなのに、私と彼女が見ているものは何もかもが違っていた。

そこに気付かないふりをしながら、自分を彼女に重ねることで、私は「大人になりたくない自分」を無意識のうちに肯定していたのかもしれない。彼女がそこまで気付いていたかどうかについては、あまり考えたくない。

 

けれど、死にたい季節を通り過ぎてしまったからには、どうにかして生きていかなくてはならない。あの頃に比べると、私も随分穏やかな性格になった。人との繋がりを病的に求めることだってもうない。生きたい理由なんかも、自分の力でそれなりに見つけ出せる。そんな精神面の成長とは裏腹に、後暗い寂しさが未練がましく浮かび上がることも増えてきた。あの頃の彼女との接点が、本当の意味でどんどん薄まっていくことへの恐怖だ。そして、この恐怖だっていずれ鮮度が落ちて…。それすら恐ろしくて……。………。怖いよ~…。

 

でも、忘れること、忘れないことの取捨選択を繰り返して、人は成長していくんだろうなって今は思える。頭ではわかってる。だから、また今みたいな気持ちになったら、私のスケブに描いてくれた絵を眺めて少し立ち止まることにする。

 

追記

私は文章を書くのが本当に苦手だ。このブログが全く使われていないことが何よりの証拠である。勢いで書き殴り、朝起きてから冷静に読み返す。そして恥ずかしさに耐えかねてしばらく暴れ回ったあと、真顔で記事を削除する。これが一連の流れになっている。

けれど、この文だけは違った。何度読み返しても、不思議とその恥ずかしさがなかった。いや、文章が拙いことに変わりはないし、そもそも恥ずかしいことばかり書いたというのに。貧しい語彙で長文失恋お気持ちレシート、大変厳しいものがある。

でも、恥ずかしくならなかった理由は想像がつく。きっと、私なりに(これでも)最低限の文字数で、年単位で発酵させた本当の気持ちだけを書いた文章だから。嘘がないからなんじゃないかな。そんな気がしてる。

 

私は今まで、何人かの人と付き合った。全員それなりに好きだった。でも、相手との関係に意味があったとここまで強く思えた人は彼女が初めてだった気がする。その証拠に、彼女が何をもたらしたか、こうして私は未だに反芻している。恋愛としては始まってすらいないし、勿論ろくに終わってもいない。でも、今まで付き合ったどの彼氏よりも好きだったのは本当だから、こんなタイトルにした。

「惚れた人の中で一番好き」だと、微妙にニュアンスが違う。恋愛カテゴリの登場人物ランキング、その頂点に彼女が君臨しているみたいではないか。そうじゃない。恋愛という枠をぶっちぎって好きになった1人の女の子の存在が、これまで私が恋愛ありきで関係を構築したどの彼氏よりも、結果として巨大なものになってしまっただけのことだった。

友達という枠から外れ、恋愛対象にシフトしたわけじゃない。既存の恋愛という枠をブチ壊した跡地で、妙な形で親友になることに成功した。あくまでも私はそんなイメージでいる。日本語難しいなあ。上手く伝えられない。

 

恋愛関係ではなかったから、べつに「友達に激重感情を向けてた」みたいな表現でもさして間違いではない。湿っぽい気持ちはあったけど、恋と呼んでいいのかどうかは未だに迷うし。

というか、そもそも恋愛の相手として関わっていたわけではないと言ったばかり。比較対象に「彼氏」を持ってくるこのタイトルはとても矛盾しているように見えるはず。でも、それもちゃんと理由はある。だって。

会いに行った日。無理のない時間に落ち合おうって言ったのに、朝5時半に池袋のバスターミナルまでわざわざ迎えに来てくれて、その嬉しさに一気に心拍数が上がったとか。

早朝の繁華街なんて、ゴミだらけで汚いし、おまけに臭い。なのに、その日は雨に濡れたアスファルトの光の反射すらやけに綺麗に見えてワクワクしたとか。

それくらい、遠方の友達と久々に遊べる嬉しさとはまた別の方向で浮かれてしまっていたから。

だから、私の気持ちの呼び方も、多分こんな感じでいいだろう。ちょっとポエム臭くて恥ずかしいけど、ここまで全部含めて、このタイトルに決めた理由!

 

少し書き足すつもりが5000字を超えてしまった。当時の私の鍵垢とより多く繋がってくれていたフォロワーほど、この怪文書が全部マジなことがわかると思う。色々と。鳥肌も立つと思う…。

あくまで主観だけで話したのは、せめてもの誠意。あと、この記事は気が済んだらすぐに消すと書いたけど、ごめん、やっぱりもう少し残しておく。

落ち着くために書いた文章は、やっぱ読み返しても落ち着くから。これを読めば、私とあの子は決して似た者同士ではなかったということをすぐに思い出せる。

もちろん、消す必要があると判断したら即座に非公開にするよ。狭い界隈でインターネットやってるから尚更。

 

最後に。共通の友人へ。万が一あの子の様子を知ることがあっても、私には絶対になんにも教えなくて大丈夫。

以上。まとまりはないけど、読んでくれてありがとう。